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「星野君の二塁打」が道徳の教科書から消える件と送りバント作戦についてプロ野球ファンが戯れ言を語る

 

 

 

道徳の教科書で、「星野君の二塁打」という野球を題材にした短編小説が、教科書から排除されると話題になった。

送りバント作戦を無視した星野君の行動を考える内容となっている。

主も少年野球経験者の目線で解説していきたい。

 

アベマタイムスより

参照記事:監督に背いて結果を出したら次戦スタメン外 星野君が受けたのは社会の理不尽? 若新雄純「先生が“人間関係ってめんどくせえ”と言えれば活きる教材に」

2024年に小学校で使われる道徳の教科書から「星野君の二塁打」という児童小説が消える。

児童文学者で当時明治大学教授の吉田甲子太郎による児童向けの短編小説。

小学校の教材で50年以上使われた定番作品。

2024年以降はどの出版社の教科書にも採用されない。

子供に自主性が求められること、野球の認知度が落ちたことが、教科書から消える理由か?

 

あらすじ

(1956年出版の新潮社・少国民文庫版より)

選手権大会の出場をかけR町の少年野球団RクラブがTクラブと対戦。

Rクラブがリードする展開から最終7回表に同点に追いつかれる。

その裏で先頭バッターの岩田君がヒットで出塁。(ノーアウト1塁)

Rクラブの次のバッターは、投手の星野君。

星野君は大学生監督の別府から送りバントを指示される。

星野君は長打のある好打者も、この日の成績は凡退ばかり。

星野君「打たしてください。今度は打てそうな気がするんです。」

監督「『打てそうな気がする』ぐらいのことで、作戦を立てるわけにはいかないよ。ノーダン〔ノーアウトのこと〕なんだから、こゝは、正攻法でいくべきだ。わかったな。さあ、みんなが待っている。しっかり、やってくれ。」

汚名返上したい星野君は、気が進まず生返事をしながらも、バントをするつもりで打席に立つ

しかし打てるという気持ちが湧いてきた星野君は、監督の指示に背いてヒッティング。

見事、二塁打を打って走者を三塁まで進める。

次のバッターが犠牲フライを放ち、Rクラブがサヨナラ勝利をおさめた。

選手権大会への出場を決め、一躍英雄となった星野君だったが、監督は作戦無視の星野君がおもしろくなかった。

翌日の練習で監督が選手を集めて昨日の試合をふりかえる。

監督「回りくどい言い方はよそう。ぼくは、きのうの星野君の二塁打が気に入らないのだ。バントで岩田君を二塁へ送る。これがあのとき、チームで決めた作戦だった。星野君は不服らしかったが、とにかく、それを承知したのだ。いったん、承知しておきながら、かってに打撃に出た。小さく言えばぼくとの約束(ヤクソク)を破り、大きく言えば、チームの統制をみだしたことになる」

別府は、星野君がすぐれた選手であることを認めつつ、チームの統制をみだしたことを理由に当面の試合出場禁止を命じる。

監督「戦力ダウンは承知のうえ、大会で負けたとしても仕方がない」

星野君「異存ありません」と涙を浮かべる。

ウィキペディア星野君の二塁打より

 

作者のメッセージ

作者が伝えたかったこととして

・民主主義(監督は選手と話し合いながらルールを決め、チームを運営している)

・スポーツマンシップ(約束や集団の統制を守ること、犠牲の精神や共同の精神の大切さ)

・男らしさ(最後に星野は涙をみせながらも決然と「異存ありません」と宣言する)

などが挙げられる。

星野君の行動に賛否両論の意見があるが、こうした多方面の意見が出て議論できる物語は道徳向き。

星野君が監督の送りバント作戦を無視して、ヒッティングに切り替えたことは正しかったのか。

道徳の授業で、児童が話し合う題材が無くなるのはさみしい。。

 

送りバントのメリット

・打球を転がしてランナーを進塁させチャンスメイクする

・相手投手や守備を揺さぶる

・ダブルプレーを防ぐ

 

送りバントのデメリット

・アウトカウントを1つ献上する

・失敗するとランナーを進塁させることができない

・失敗するとダブルプレーの可能性もある

・スリーバント失敗もある

 

送りバントに納得できるケース

個人的には、送りバントで得られるメリットよりも、デメリットの方が大きいように感じる。

つまり送りバントのリスクリターンのバランスは非常に悪い。

なので基本的に主は、送りバントは嫌い。

主が送りバントに納得できるケースとしては

・打者が貧打で期待できない場合

・打者と走者が鈍足の場合

・相手守備が鉄壁の場合

・相手投手の奪三振能力が高い場合

・試合の序盤、もしくは同点の終盤

・次の打者が好打者

などが挙げられる。

ただし、失敗すればランナーを進められなかったり、ダブルプレーを献上する可能性があるので判断は難しい。

 

送りバントに納得できないケース

一方で、主が送りバントに納得できないケースもある。

・リードされた終盤

・1アウトからの送りバント

・次の打者が貧打

・打者走者が俊足

・相手投手や守備のレベルが低い

・そもそも普段からバントの練習をさせていない選手にバントをさせる(星野君はこれ?)

などのパターンだ。

実は相手投手目線だと、アウトを献上してくれるバント作戦って、非常にありがたい。

送りバントで進塁させても、後続を歩かせて塁を埋める作戦で無意味になるケースもある。

星野君の二塁打の場合は、相手がどの類でもアウトが取れる満塁策を取らなかった理由も気になるところ。(投手のコントロールが微妙だっからた?)

失点したらサヨナラに繋がる場面だから、相手は満塁策を取るべき。

 

バント教

昔は送りバントが重要な作戦として当たり前のように行われていた。(2番打者や下位打線はバント至上主義)

現代野球だと、バント作戦の有効性が疑問視されている。(2番打者最強論もある)

なので、送りバントに対する監督と星野君の価値観の差がポイントだろう。

ちなみに送りバント作戦を強く信仰する指導者を「バント教」と揶揄したりする。

もはや一種の宗教だ。

主は、バント教をみるとストレスを感じる。

そんなバント作戦について、物語の当事者の考えを振り返ると

・星野君→送りバントを軽視

・監督→送りバントを重要視

という構図だ。

星野君にバントを強要することは、一種の軍国主義やパワハラであるとの意見も出た。

現代では、個人を尊重する時代になり、そういった体育会系が嫌われる社会になりつつある。

ただし、個人的に星野君に同情するが、監督の指示を無視したことは、懲罰を与えられても仕方ないと思う。

監督の指示に従って自分を犠牲に出来る人が社会で上手く立ち回れるのだ。

監督の指示を無視する人は、ある意味で天才肌でもある。

だけど、上層部の言う事を聞く人間こそ上手に世渡りをしていける。

チームとして考えると、リーダーの言う事を聞けない人は排除されても仕方ないのだ。

「星野君の二塁打」という話は、先生の言うことを聞いて、社会や会社の奴隷になって、税金を収める奴隷を教育するための教材として最適かもしれない。

それこそ文科省は、勤労をして税金を収める人材を教育するための学校教育を目指している。

 

小学生にバントをさせるメリットが無い

もちろん監督の作戦はチーム力やチーム方針による。

軟式か硬式かでも作戦が変わってくる。(軟式はボールが飛ばない)

また作戦が送りバントなのかセーフティーバントなのかでも印象が違う。

セーフティーバントを指示されていたら、星野君は納得出来ていたかもしれない。

特に小学生のアマチュアレベルだと、守備力が低いため、バントでも出塁できる可能性がある。(ただし選手権出場レベルだと送りバントは確実に処理される可能性が高い)

またアマチュアは、送りバントよりもヒッティングの方が守備が乱れやすい。

さらにアマチュア捕手は、盗塁をほとんど刺せない。(どんどん走らせた方が良い)

つまり小学生のアマチュア野球で、送りバントをするメリットがあまりないのだ。

一方で、レベルの高い野球リーグやプロレベルになると話は別。

簡単にバントすらさせてもらえない。

あくまで物語は、小学生レベルの話だから、バントよりヒッティングをしたほうが得点の可能性が高い。

消耗戦を避けるなら、終盤のノーアウト1塁からバントもありだが、個人的には別府監督が無能だと思った。(やるならセーフティーバント)

また相手監督も満塁策を取らなかったのは無能だと思った。

 

監督の感情論

勝負にこだわらない楽しい野球クラブなのか、勝利を目指す厳しい野球クラブなのかでチームの方針は変わる。

勝利を目指した厳しいチームに所属する星野君の身勝手を許すと、彼のワンマンチームになって風紀が乱れるという意見も納得できる。

ただし懲罰や作戦はチーム方針じゃなくて監督の感情論でもある。

ぶれないチームマネジメントをするなら、後で監督がネチネチ言うよりも、嫌われる覚悟で星野君に、すぐ懲罰の代走を出すべきだった。

今後のチームや選手のためにも、試合中に星野君を交代させるべきである。

そもそもチームメイトみんなで決めた作戦ならば、星野君は祝福されない。

星野君は、監督の指示に背くと試合に出してもらえない見せしめにされたと言える。

良くも悪くも、社会は理不尽でリーダーに逆らってはいけないという教訓となる物語だと思う。

 

まとめ

「星野君の二塁打」は、様々な意見を出し合って討論ができる素晴らしい作品だと思うので、教科書に残しても良いと思った。

ただし野球ルールがわからない人には、意味不明の物語である。

誰でもわかるような題材で、児童が討論ができる文学を教科書に載せてほしい。

「星野君の二塁打」に代わる題材として、社会の理不尽さを学ばせる題材や教訓になる物語を期待している。

 

 

本日の記事は以上となります。

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というわけで、今日も最後までご覧いただき本当にありがとうございます。
最後までお疲れチャンドンゴンでした。
ではまた次の記事でお会いしましょう。

迷える子羊ちゃんに幸あるように。。。

グッドラック!

 

 

 

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